2014年06月09日
京都二人旅
息子と初めての二人旅に行ってきました
行き先はもちろん私の大好きな京都
父の介護やら葬儀やらで休む暇のなかった私を気遣っての息子の母の日の
プレゼントでした
今回は以前からずっと行きたかった信長の墓所阿弥陀寺と阿部龍太郎の「密室大阪城」を
読んで興味を持った秀頼の首塚がある清凉寺
どちらも参拝者もほとんどなく静かでした
参拝は二日で三ケ所だけでしたが、市バスや地下鉄を使ってゆっくりの観光でした。
残りの時間はショッピングをしたり、スイーツ男子の息子と葛きりを食べたり
歴史に興味がないにも関わらず、アイフォン片手に一生懸命私に付き合ってくれた優しい息子に感謝です
明るく楽しく優しい息子に育ってくれてよかった
帰りに東京駅の改札口まで見送ってくれた息子と別れるときは淋しさで
来年は息子も家庭を持つことになりそうです
また息子と旅行できる日が来るのを楽しみに一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています
清凉寺
昭和55年、大阪城の京橋口三の丸跡から、地中深く
埋葬された頭蓋骨が発見されました。秀頼のものと推定
される首は、アサリやタニシを敷きつめた上に、殉死者2名、
太平楽と思われる馬の首ひとつと共に埋められていました。
昭和58年にこの首は京都の清凉寺に納骨され、秀頼公首塚の碑が
建てられました。納骨に先立って清凉寺の住職が供養の読経を
奉じると、頭蓋骨の目から滂沱の涙があふれ出したそうです。
(阿部龍太郎「密室大阪城」より)
阿弥陀寺
阿弥陀寺を開いた清玉上人は、本能寺の変の報を聞きつけるやいなや
駆けつけ、光秀の手に渡る前に信長や長男信忠、家臣の森三兄弟の遺骸を
運び出し、葬ったと伝えられています。
信長の命日である6月2日に法要「信長忌」が営まれ、平日にも関わらず
350人以上の参拝者が訪れたそうです。
(平成26年6月2日 京都新聞)
行き先はもちろん私の大好きな京都
父の介護やら葬儀やらで休む暇のなかった私を気遣っての息子の母の日の
プレゼントでした
今回は以前からずっと行きたかった信長の墓所阿弥陀寺と阿部龍太郎の「密室大阪城」を
読んで興味を持った秀頼の首塚がある清凉寺
どちらも参拝者もほとんどなく静かでした
参拝は二日で三ケ所だけでしたが、市バスや地下鉄を使ってゆっくりの観光でした。
残りの時間はショッピングをしたり、スイーツ男子の息子と葛きりを食べたり
歴史に興味がないにも関わらず、アイフォン片手に一生懸命私に付き合ってくれた優しい息子に感謝です
明るく楽しく優しい息子に育ってくれてよかった
帰りに東京駅の改札口まで見送ってくれた息子と別れるときは淋しさで
来年は息子も家庭を持つことになりそうです
また息子と旅行できる日が来るのを楽しみに一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています
清凉寺
昭和55年、大阪城の京橋口三の丸跡から、地中深く
埋葬された頭蓋骨が発見されました。秀頼のものと推定
される首は、アサリやタニシを敷きつめた上に、殉死者2名、
太平楽と思われる馬の首ひとつと共に埋められていました。
昭和58年にこの首は京都の清凉寺に納骨され、秀頼公首塚の碑が
建てられました。納骨に先立って清凉寺の住職が供養の読経を
奉じると、頭蓋骨の目から滂沱の涙があふれ出したそうです。
(阿部龍太郎「密室大阪城」より)
阿弥陀寺
阿弥陀寺を開いた清玉上人は、本能寺の変の報を聞きつけるやいなや
駆けつけ、光秀の手に渡る前に信長や長男信忠、家臣の森三兄弟の遺骸を
運び出し、葬ったと伝えられています。
信長の命日である6月2日に法要「信長忌」が営まれ、平日にも関わらず
350人以上の参拝者が訪れたそうです。
(平成26年6月2日 京都新聞)
Posted by 朝日税理士法人 at 23:37│Comments(0)
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